Basketball Diary

バスケコーチのブログです

「魔法の言葉」と関わり

 

 

 

こんにちは

 

今日は児童福祉に携わっている者の観点からの記事になります。

バスケットを教えることもそうですが、

子どもに何かを教えるということにきっと共通しているかもしれませんし、

親御さんは常に子どもに接して将来を見据えた教育をされていると思います。

その中で私なりに大切だなと感じたことを少し書きます。

 

 

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「愛着」の形成は生まれた瞬間から始まっていきます。

身近な両親から受け取る愛情がその後の人格を作る基本的な部分になることはどなたでも想像がつくと思います。

 

 

「愛着」=基本的信頼の形成
人間を心で許すこと、愛情を受け取って相手にも愛情を渡すことだと解釈しています。

 

 

もうこの愛着の形成が大切だと言うことは割愛していきますね。

 

 

では、その愛情の注ぎ方は正しいかな?と言うところに目を向けていきます。

子どもは成長や発達に応じて周囲との人間関係の作り方や自身の人格の形成、目指すべき人間の姿、目標も変わっていきます。

 

「こういう自分でありたい」

 

という自身に向ける眼差しも次第に現実味を帯びてきたり、出会ってきた人間や環境に影響をされて変わっていくことでしょう。

 

 

そこで、今日のポイントになることは、
学童期を抜けた子どもたちが、自分自身のことをどう思って周りの人間と関わっていくかと言うところ。

どこまでいっても自己肯定感自尊心、という部分に突っ込んでいきたいです。

 

 

 

 

『素直な子』って?

子どもには常に素直であってほしいと思いますよね。

 

ただ、子どもって多面的な部分を持って、いろいろなところでいろいろな顔をして生活しています。

学校での姿、家庭での姿、我々のようなクラブでの姿、すべて違う姿ですが、どれも本当の姿であるということです。

 

 

「こうしなさい!」
「こうありなさい!」

 

これは教育ではなく、矯正ですよね。

 

 

 

大切なことは

「どんな姿で居続けさせてあげられるか」

だと考えていて、

 

 

「~~だから悪いやつだ」
「~~だからできないやつだ」

 

と決めてしまうのは良くないです。

 

 

親御さんの立場になると非常に難しくて、

特にシングルだと特に難しい感じがします。

 

 

きっと家庭での顔、姿というのも、その中で多様的な関わりがないと
いろいろな面は見えてこない。

というのも、子どもは大人の顔色を伺うプロフェッショナルだから、

大人が考えている以上に空気を読んでいるケースがあります。

 

 

 

 

これは、教育で子どもの人間関係に介入するとき、
大人が子どもの世界に入り込むときと一緒で、

どんな顔で居させてあげるか、大人が導きたい方向の姿を示してあげることが
とっても大切だと思うんです。

 

 

大人が素直になって、

「こんなあなたが好き」

としっかりと伝えてあげることがここでは大切になってくるのかなと思います。

 

 

最初に触れた基本的信頼関係を構築する上での愛情って
結構ぼんやりして居て、

我が子への愛情って私にも伝わってくるくらい皆さんよく表現されているんです。

 

 

大切で仕方がない気持ちって溢れてしまうんですよね。

 

 

でも、子どもは成長するに従ってもっと「具体的な愛情」を求めると思うんです。

 

私も子どもの気持ちはよくわかりますが、
女性の気持ちはわかりません。

 

 

「そんな言葉が欲しいんじゃない!」

 

とよく言われたものです。笑

独身だけど。過去にね。

 

 

 

子どもだってこのパターンでの女性と同じです。

 

 

「愛情の次は、自分を認めてもらう何か」

だったり、

「自分を肯定してくれる居場所」

が欲しかったりします。

 

 

それらは具体的に物差しや目に見える組織であったり、

明確なものですよね。

 

 

 

いつまでも可愛い、目に入れても痛くない、

スタンスでは子どもには伝わらないものです。

 

 

 

『自立』って?

子どもも成長するにつれて

だんだんと自分で生きていく力、生活力を身につけていかなければいけません。

 

 

思春期には自分の道をある程度見つけて、

社会で活躍する術を身につけさせてあげなければいけないです。

 

 

 

その時に、自分がないと

道なんて見つけられないですよね。

 

 

 

「自分を探す」ことは
他者存在必要です。

 

 

「自分はこうだ!」

「あなたはこうだね」

に敵うことはないです。

 

自己肯定感情は他者が育むものだからです。

 

 

 

 

育成の相談で・・・

よく、児童育成に関わっていると、コンプレックスの話をされることがあります。

 

「この子にはこういうコンプレックスがあります。」

 

コンプレックスって経験から形成されていくと思うんです。

この辺詳しくないのでわからなないですが、

単純に「こう言われたのが嫌だった」など外見のことを想像すると分かりやすいですが、

なんでその体験がコンプレックスになってしまうか分かりますか?

 

 

コンプレックスを持つんじゃない!と言っているわけではありませんよ。

誰しもあるものですから。

 

 

 

まず、一番近い人間にそのコンプレックスになり得る体験を話しているかどうか、と
そのコンプレックスを抱く対象を愛してあげられているか、というポイントになるかと思います。

 

 

少し分かりづらいですね。

 

 

私がアメリカにいる時に、
よく人種差別をされたと周りの人に言ったことがありました。

 

でも、私からしたらあんまり差別は気にしていなかったのですが、
やっぱりアジア人だからバスケ下手とか言われるとムッとしました。

 

 

でも、向こうの生活が続く中で、
私を認めてくれる存在が私のことを肯定してくれたり、

アジア人としての私に誇りを持ってくれたことがその体験をいい方向に持って言ったのかもしれません。

 

 

よく聞く話では、肌の色での差別、これは悲しいことではありますが、世界で当たり前にあることです。でも、それはその保護者によってしっかりと「自分のルーツに誇りを持つ」体験へと変えられていきます。

 

 

 

これこそがまさに、愛着を形成した人がすべき行為で、
子どもにとっての安全地帯をしっかり作ることと言えるでしょう。

 

 

 

そこから、次のステップにどうつなげるのか?

というのが本日のポイントでした。

 

 

 

 

関わりは??声かけは?

 

もう一度言いますが、これらの愛着、愛情の注ぎ方は学童期までに済ませておくことで、

その自尊感情をベースに、人間の中で育ち始める小学校高学年~高校生くらいまでの10代の非常に貴重に対してどのように接していかなければいけないのか?

 

というところの課題へとつながります。

 

 

 

小学校高学年はそう言った意味では、

一番未熟なままに「人から多くを学び始めなければいけない」ステージになります。

 

なんども触れていますが、

学びは自主性から。自主性は自尊心から育まれます。

 

 

 

だんだんと注ぐ愛情は広く、でも具体的にしていかなければいけないのかなと思いました。

 

 

 

最後に、手元を離れていく子ども、親御さんからみると子どもって明確な巣立ちはないにしても精神的に子どもから親離れしていく部分があると思うし、正しく親離れさせてあげることも大切です。

 

 

児童福祉や教育の中では「自立」って言ったりしますよね。

自立に向けた支援って小学校2年生くらいから始まって、生活の基本的な部分の留守番とかそういうところを学校のルールや家庭のルールの中で学んでいくと思います。

 

自立を進めていく段階で大切なことは
自分で経験を積んでいくこと。

 

 

コーチの世界でもインプットアウトプットのバランスの重要性だったり、

インプットの方法はどうすればいいの?対象によって違うよね?っていう方法の工夫だとか、よく言われます。

 

 

ここでも、もちろん「どのように伝えていくか」っていうのはとっても大切です。

でも、ここでは伝えた先の話をしますね。

 

 

 

子どもは生活の中で、初めての経験や日々の日常の中でいろいろなものを作っていきます。

人格や性格はまさに日常の環境で形成されますよね。

 

 

そこで間違った方向に行くことってありますよね?

 

 

私はむしろ間違った方向に行って欲しいと思っていますが、

いざ親御さんの立場では「失敗して欲しくない」という気持ちが強くなることもよく理解できます。

 

できることならば、苦労しないで成長してほしいという親心もよく理解できます。

 

 

でも、NO PAIN NO GAIN なんて言葉があるくらい、

失敗や痛みから学ぶことってすっごく大切なんです。

 

人間はそれほど優れているということです。

 

 

失敗から得た学びは、本人にとってものすごく深い部分に定着して一生忘れません。

皆さんにもそういう経験があると思います。

 

 

失敗のダメージを乗り越える強さも必要になります。

小さい子どものうちに経験の中で身につく力だと思っていますが、

大きくなっていくとそのダメージに耐えられないことを心配すると思います。

 

 

確かに親御さんの一番の心配かもしれません。

が、大人ではどうすることもできないと私は思っています。

 

 

 

無責任に聞こえるかもしれませんが、

大人がどうこうできるほど人の心って単純ではないですよね。

 

 

大人だって一緒です。

 

 

きっかけを与えることはできても、
再び立ち上がるのは本人の気力、気持ち次第です。

 

 

そこを立ち上がらせてくれるサポーター、仲間がいるか、ということです。

 

自立しようとしている人間は大人と同じような心を持ち始めます。

プライドですね。

 

 

そのプライドに触れていけるのは同じ熱量を持った、分かり合える友達だったり、

仲間なのではないかなと思っています。

 

 

大人ができることは、
その集団性、仲間意識をポジティブな方向に導くことで、

最初に言った「こんなあなたが好き」という部分を
「こんなあなたたちが好き」に変えてあげることが大切です。

 

また、

「~~で頑張るあなた」
「~~で過ごしているあなた」

を認めてあげて、集団の中で作用しあえる部分を形成して言ってあげることが大事なのではないかなと思います。

 

 

 

いつまでも「親が全部やらなきゃ」って思う必要はないんです。

結局、子どもは早い段階で親の手元を離れて、集団の中で伸びていきます。

間違った方向に行くこともしばしばですが、

そこが大人の出番で、どのように導いてあげるか楽しい部分ですよね。

 

 

 

いろいろなことを書いてきましたが、

子どもは確実に大人にはない視点で物事を捉えていて、日々の中で毎日成長をしているわけです。

子どもの成長は本当に早くて、気持ち次第では一瞬で姿を変えてしまいます。

良くも悪くも、変化を遂げています。

 

 

 

子育てなんて家庭だけではできません。

地域・学校・家庭など多くの環境が作用して行うものです。

 

 

 

外に出す勇気、外で学ばせることを考えてみると少しリラックスして
子どもと向き合えるのではないかなと思います。

 

 

 

昨日は私にとってもとてもいい考える機会と、
私が子供に寄り添う絶好のチャンスだったと思っていて、

だんだんと姿を変えて成長してゆく子どもたちを見守ってゆくのが楽しみだなと思いました。

 

 

まだまだ女性の心はわからないけれど、
子どもたちには「魔法の言葉」をかけ続けてあげたいです。

 

 

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