「主体性」
先日、東京都ミニバスケットボール連盟指導者講習会に行ってきました。
登壇された先生は、育成部の佐藤先生です。
私はコーチの資格を取りはじめてから必ずと言っていいほどお目にかかっている方で、私が考えている育成年代へのコーチングにおいて理想的なお考えをお持ちの方です。
選手が育むべき主体性は私が携わっている仕事、児童育成の中にも通じるものがあると考えています。
活動の主体は子どもにあるべきだ!
私がクラブを立ち上げて保護者会で言った時に保護者の皆様は…?みたいな感じでした。
え?教えないの?
このコーチは子どもを放置している!
なんてたくさんの声が寄せられました。
未だに何も教えてない!!
とか言われることもありますね。
確かに子どもに主体がある活動には必ずリスクが潜んでいます。
まず、危険回避能力、安全面への配慮や活動のデザインなど頭を使ったり経験を基に行動をしなければいけない状況において子どもはその能力がまだまだ低いためリスクはありますよね。
主体といっても、まず物事を実際に「行う」「進める」「振り返る」などのアクションに関しても経験値は非常に少ないですよね。
これ、自立に関わる範囲の事ですよね。
実際に自分で行う、ことをしたことない子どもにとっていきなり、やりなさい!は放置と一緒。
あと、実行(アクション)の裏側には様々なルールがあったりします。
例えば、練習はテキパキと行動しなければいけない。
このルールの背景には、練習時間(チーム時間)を確保するために無駄を省略することや切り替え(トランジション)の速さが試合を有利にするスポーツですから、日常で習慣化すること、集団行動(チームスポーツ)を身につけるなど様々な理由がありますよね。
でも、
テキパキとした行動が出来ない子に「それはダメだ。」と注意する事が先行してないか?
言われた子どもは「怒られた。」としか印象に残らないですよね。
児童育成で言えば、
今まさに電車で目の前にいる親子。
子どもは電車で騒いだり、ふらふらしたり、つり革をジャンプしてタッチしたり…
自由ですよね。
「やめなさい!」
子どもはダメなんだと思いますよね。
でも、大事なのってなんでダメかですよね。
周りの人の迷惑だから、共有している空間だからみんなが気持ちよく乗る必要があるからですよね。
それ、「思いやり」を教えてあげる機会ですよね。
子どもの行動、取るべきアクションの裏側にあるものを教えないで主体性は有り得ないですよね。
そして、経験をさせてあげるプロセスにインプット、教科書は絶対必要になるんです。
じゃあ、バスケにおいて技術的に、戦術的に、競技面において教科書に変わる存在はコーチだったりします。
よく聞きますが、子どもにYouTubeを見せて自主練をさせる。そんなコーチがいると聞いたりしますが、それは半分正解で半分失敗ですよね。
なぜ失敗かは、YouTubeは教本ではない、ただの情報コンテンツで動画には製作者がいます。何を意図して見せるか、はその人次第で大切なのはリテラシー、つまり情報の受け取り方、処理の仕方です。
私の中での正解は、
「YouTubeでこんなプレーを見ました。身につけるにはどうすればいいの?」
この感想が出てくる事です。
そこでフォローをするのがコーチの仕事です。
主体性の育み方の例ですが、
きちんと正しい知識を入れるために必要な存在がコーチであれば、そこまでの道筋はどんな道を通ってもいい。そう考えます。
主体性を身につける上で教科書は必要だよね、という話でしたが、保護者も教科書にあたります。
習慣を身につける上で欠かせない教科書になります。
継続的に選手を支える存在になる保護者はサポーターであれ、と思ってましたが最近違うんじゃないかなと思い始めてきました。
ただ、ゴリゴリに教育者である必要はないですが、人間味をたくさん教えてあげられるのは保護者だし、強いところも弱いところもたくさん見せてあげて日々の過ごし方なんかを教えてあげれば良いのではないかなと思います。
そういう意味では教科書なのかもしれません。
ただ、子どもの好きなことや頑張りたいことに対しては、完全に出資者(スポンサー)であればいいと思うんです。
それも、応援するから金を出す、というスタンスで結果を求めていいと思うんです。
何かを伸ばすために好きな事をするという心構えを徹底的に叩き込んでくれればいいのと、劇的な成長に感動を貰うために子どもに時間や手間、お金を使うという感じでいいと思います。
これ、主体性が育まれると思うんですよね。
なぜ親がサポートをしてくれるのか、という部分についてしっかりと考えている子は少ないと思います。
親のサポートは当たり前… 義務という観点からいくとまぁ確かに当たり前かもしれないですけど、好きな事をさせるというのは別に義務でもなんでもないし、親の人生は親の人生ですからね。
子どもはしっかり考えなきゃいけないですよね。
ここでしっかりと考える事で子どもは何をしなければいけないか、がリアルに実感できると思います。
考えを持てば過ごし方は変わると思います。
この日常生活における主体性がまず基礎として必要です。
これがない子にいくら指導しても難しさはあります。難しさというか、別のアプローチが必要です。
日常生活で主なアクティビティが学校での生活だと思いますが、日本は画一教育が主で、内容こそ改革はされていますが、そもそも主体的に学んできた人がいない中で子どもに主体性を教えようというのが問題で、カリキュラムがそもそも作られたもの、全て定められた事をなぞるだけですから、環境としてはまず難しいですよね。
そんな事したことないよ!!!!
子どもはよく言いますよ。
教育批判じゃないですよね。
だから、地域でどれほど学んでくれるかな?と私は意気込んでいるわけです。
ここまで主体性について色々と話してきましたが、最後に1番重要な部分が、どこまで大人が手を引くか。にあると思います。
前述の全ての内容に通じます。
子ども主体の裏側は、どこまで大人が手を引くか、です。
最初にリスクの話をしましたが、
リスクを完全に取り除いた状態が主体性0の状態だとしましょう。
では、どこまで考えさせてアクションさせるかで「主体度」が変わってくると思います。
この主体度の見極めが大事で、コーチという立場からしたら保護者の方と協力が必要な部分ですね。
例としては、
この間のU12の合宿です。
生活の部分で大人がしたことは、
・しおりを作ること
・体調のチェック
・水筒の補充(ジャグにポカリを作るだけ)
だけです。
その他のことは全て子どもに考えさせ、事前に少しだけフォローをしただけです。
選手たちは完璧に、怪我も体調不良もなくできました。
もちろん、長い時間をかけた準備はありました。
それまでの合宿や遠征で何をしなければいけないか、どうやってやれば良いかなどはしっかりと教えた上、経験した上でこの合宿がありました。
宿泊引率の保護者は0名です。
子どもはものすごく成長をしましたね。
覚悟で保護者も送り出してくれている、協力の上にあるものです。
近年、主体性だ!とよく聞きますが、
獲得するために何をしてますか??
これがとても大切ですよね。
大人はこだわりを持って深めていくこと、だんだんと手を離すこと、大切だと思います。
最後に佐藤先生の講義でいつも拝見する言葉、
学ぶことをやめたときに、教えることを辞めなければいけない。
これに尽きると思います。